赤井直正のこと2026年07月06日

私が高校時代までを過ごした丹波市春日町には戦国時代、赤井悪右衛門直正という豪傑がおり、春日町黒井の黒井城を本拠としておりました。この人のことは司馬遼太郎も小説(貂の皮)に書いており、また、「丹波戦国史」にも登場しております。赤井直正は、あの天空の城竹田城も落とした武将です。織田信長は明智光秀を丹波攻略に派遣し、明智は、丹波篠山市の八上城を本拠としていた波多野秀治を味方につけ、両者で黒井城に攻めかかりました。ところが明智と共に黒井城を囲んでいた波多野秀治は突如赤井側に寝返り、赤井と波多野が共働して明智光秀に襲いかかったため、明智は敗北しました。しかし、その後赤井直正は病死し、その後に行われた第二次丹波攻略で黒井城は落城し、さらに波多野氏の八上条も落城しました。落城後の黒井城には明智の家臣斎藤利三が派遣され、娘のおふく、後の春日局がふもとの寺(興禅寺)で生まれました。なんと現在の丹波市「春日町」という町名は春日局の縁で町村合併の際に採用されたのです。